~不妊治療を終えて、特別養子縁組の養親になって~
2019年1月、すでに特別養子縁組の研修は済んでいたAさんでしたが、気持ちの中では不妊治療をやめても良いのだろうかとずっと悩んでいました。そんな時、会社の関係者の女性と話す中で背中を押され、即決意。その時に夫に伝えた言葉は「私、アンジーになる!頑張るわ!」でした。
え?アンジー?そう思った方は最後までぜひ読んでみて下さいね。
Aさんは九州在住の方で、インタビュー中も気持ち良いくらいに大きな笑顔を見せて下さる、“パワフル”という言葉の似合う女性です。
20代の頃から家庭教師やサーフィン、色々な仕事を通じて子どもやその親とも関わることが多く、自身が根っからの子ども好きということも相まって、「自分が生きていく中で、自己成長のためには子どもはいないとなって思ってた。破天荒な部分もある自分を成長させてくれると思ってたし、見える景色は絶対違うだろうなとも感じてた。実際本当に違うしね!あとは、両親にやっぱり孫を抱かせてあげたかったこともあるかな。」と語ります。
そのAさんも30代での初婚時、子どもが出来ないことが要因の一つとなり別れを経験。そしてその後は結婚よりも子どもを持ちたいと強く想うようになり、精子バンクを必死に調べたり、周囲に相談したりするように。そうする中で、精子バンクの安全性や将来のことなどについて様々な不安要素も出てきたことから、それについては断念したといいます。
その後出会った今のご主人とは、“子どもが欲しいこと、授かるためには不妊治療をするしかないこと”を伝えた上で結婚。そして、40歳で不妊治療を始めたAさん。その治療経緯は、年齢を理由に受診を断られることもあったり、持病の喘息治療との兼ね合い、そして高額な治療費を捻出するためにフルタイムで働きながら副業もこなすなど、本当に苦心し努力しながらのものでした。いかに明るいAさんでも、その経験は「本当にしんどかった」と振り返ります。
不妊治療を4年以上続けましたがなかなか良い結果が出ず、かと言ってやめる決断もできなかった2018年のある日。ふとポスターを目にして特別養子縁組を知ったのでした。Aさんの住む町では、特別養子縁組や里親制度を広めるための事業が活発にされており、その公募のポスターが目に留まったのです。治療をやめなければ応募は出来ないけれど、応募はすぐしなくても定期的に行われる研修会には足を運び続けようと思ったと言います。
そんな時に二つの大きな出来事がありました。まず一つ目は、その時勤めていた会社が国内から海外へと拠点を広げていくことになったこと。これで、Aさんはぐっと視界が開けたような気がしたと言います。
そして二つ目は、これまで親しくしていた会社の関係者の方から、自分自身も長年不妊治療をしていたことを聞かされ、「出産するまでがゴールじゃないよ。その後の子育ては本当にお金もかかるし苦労も多い。不妊治療を続けることは悪いとは思わない。でもこれからあなたはどんな女性になりたいの?どんな母親になりたいの?」と問われたことでした。
Aさんは「その出来事が、『私、アンジーになる!』につながった大きなきっかけかな!」と話します。
その“アンジー”こと、“アンジェリーナ・ジョリー”。実はAさん、30代前半から「アンジーになる!」と周囲に伝えていたといいます。
アンジーが様々な国の社会的養護下の子どもたちを引き取り、実子とも分け隔てなく愛情を注ぎ育てている姿に大きく影響を受け、「発展途上国の子どもたちに何か出来たら。世界のどこかには自分を必要としてくれる子がいるんじゃないか。社会貢献の出来る人間になりたい。」と思っていました。そんなアンジーへの憧れとともに抱いていた夢が、不妊治療によって見えなくなっていたAさんでしたが、環境の変化がその気持ちを思い出させてくれたと振り返ります。
そうして、Aさんは特別養子縁組で養親になるという気持ちを固め、それと同時に不妊治療からも一旦離れることに。
そして、特別養子縁組の待機家庭に認定されてから待つこと約一年半経った、とある晩。
「今さっき赤ちゃんが産まれましたが、お母さんの気持ちが揺れてます。でも心構えはしておいてください」との報告。
そして、その3日後「明日の夜、児童相談所に来て下さい」との2回目の連絡。
児童相談所では、“元気な男の子で、今何故養子に出す事になったかの経緯”のみお聞きし、「どうしますか?」と聞かれたといいます。Aさん夫婦が「お願いします」と承諾すると、
「じゃあ明日の朝、会いに行きましょう。それまでに名前を考えておいて下さい」との事。顔も見てないけれど、Aさん夫婦は名前の候補を一生懸命、一晩で考え抜きました。
そして翌日、実際に子どもの顔を見て、夫婦それぞれが「せーの!」で出した答えも一致。
そうしてスタートした息子くんとの生活。自分たちの戸籍に入るまでは不安が募る毎日だったといいますが、「今を楽しまなきゃね!」と、“百人抱っこキャンペーン”も開催。沢山の方に息子さんを抱っこしてもらったと笑顔で語ります。
今や、その日から約1年半以上が経ちます。戸籍上でも自分たちの子どもとして認められ、子どもが来るまでは家事は一切やらなかったという旦那さんも、すっかり主婦並みの力量に。Aさん自身の仕事にも理解を示してくれ、保育園の送迎までやってくれる素敵なパパになられたとのこと。
社会的養護下の子どもたちを家庭で育てていくための制度としては、特別養子縁組の他に里親制度もありますが、“なぜ里親ではなく特別養子縁組だったのか“との質問には、「自分はたくさんの子どもたちを育てたいけど、戸籍にいれてあげたいし、自分のお金で育ててあげたいという思いがあるから。」と語るAさん。
また、“特別養子縁組”に対して近づきがたいような気持ちはなかったのかと問うと、
「地元の親友がたまたま養子縁組で育てられた子でね、その家族が本当に幸せそうで、養子って良いなっていう感覚もあったんだよね。それに、血がつながっていようがいまいが、育てる上では何も違いはないんじゃないかなって思いもある。近所の人でも実家に帰っても、”養子“の子を育ててるってみんなに言ってるけど、まずは驚かれるし、すごいって言われちゃう。けど、特別でもなんでもないのになって思うよ。」というAさん。
これからも子どもを受け入れていく中で、どんな子が来るかは分かりません。しかし、「仮に何か障害とかがあったとしても、その子に出会ったことは何か意味があるんだと思う。どんな子でも母というものに抱かれて欲しい。」と話します。
両親や義両親も優しく受け止めてくれているそうで、月に一度は子どもも実家で過ごしているそう。「子どもが一人いるだけで、みんなが幸せな表情になったし、そのパワーってすごい。」「ここまで色々あったけど、本当に人の縁ってすごいよね。」
【あとがき】
この家に来てすでに沢山の人に抱っこされてきた息子くん、そしてその周囲にいる人たちもきっとみんな笑顔なんだろうな!と私自身も幸せをたくさん感じられるインタビューとなりました。
最後に私自身が、Aさんと他の不妊治療をしている多くの人で違うなと感じたこと。
それは、子どもが出来ないことや不妊治療をしていること、それに対する率直な思いをAさんは同僚や仕事先の人など、周囲の多くの人に話していたことです。私自身は、自分が不妊治療をしていることを親にも友人にも言い出せなかったこともあり、なぜそのように話す事が出来たのか問うと、「話す事で色々思う人もいるかもしれない。でも、それを伝えることで自分を応援してくれる人や相談にのってくれる人も大勢いることも分かったよ。あとは、自分一人で考えて判断するより色んな人の話を聞いた方が絶対良いと思ったから。」と答えてくれました。
きっと、Aさんのその屈託のない笑顔と明るさも掛け合わされて、ますます周囲には見守ってくれる人や助けてくれる人も多かったのではないかと感じます。
Aさん、本当にこの度は貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。